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ちょいと昔のニッポン人、覗いてみてはいかがなもんか。
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江戸時代、力士は大関になると、部屋から引き抜かれて大名のお抱え力士になるのもいたんだとさァ。

この時代の名力士といやァ…あんまりにも有名でさ!

雷電為右衛門。(1767-1825?) 197cm169kg。
 松江藩のお抱え力士で、脅威の記録、254勝10敗、14預り2引き分け、5無勝負!
優勝は27回、連勝44回!勝率だけなら、朝青龍も真っ青でござんしょ。
でもこの力士、力が強いだけじゃァありゃせんよ。
学があって筆マメで、「雷電日記」や「万御用帳」なんてのも残してるんですよ。

おっかねェ話がありやしてね、この雷電、土俵上で相手を投げ殺しちまったことがあるんだとか!!!
ひぇぇぇ~。絶対に怒らしたくないもんだ。
あんまり強いんで、雷電はかんぬき、張り手と鉄砲の三手を禁じられたんす。
ただ、こんだけ強くて何故だかァわからねえのが、
「横綱」の称号をもらってねえのす。
あんまり強くって周りが嫉妬したんだろか?
しかし、この雷電は世間が認めるスーパースターだったこたァ、確かなこってす。
今の力士だと、エストニア出身の把瑠都関がおんなじ身長、体重っていわれてやすね。

小野川喜三郎 5代横綱。176cmの小兵、久留米藩お抱え。
谷風梶之助 4代横綱。189cm、169kgの巨漢。仙台藩お抱え。(流行病で現役中に死去)
このお二方も、同世代の有名な力士でございやす。

ほかには、こんな力士もいたんでさァ。
黒船に日本からの贈答品、米200俵を運ぶ際、大関・鏡岩や小柳などの力士がその米俵を運ぶ中、白真弓ってェ力士がいた。
その白真弓、208cmの大男で、なんと一度に8俵もの米を運んだって言われてるんですぜ。
最長身の琴欧州関、同じことできやすかねェ。

おっかねェのが、不知火光右衛門。
馬子と喧嘩して、足で踏みつけたまではいい。ところがその馬子があんまり悪口雑言を吐くもんだから、その首をひっこぬいちまったそうですよォ。
ホントの話かえ??こりゃァ。
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 相撲といやァ、ちゃんこ鍋!!ですよねェ。
でもそのちゃんこ鍋、明治の後期になってからって、ご存知で??
実は、江戸時代。回向院境内で興行してた頃は、相撲場の脇に炊事場を作って、そこで大勢の力士の食事をまかなってたんでさァ。
メニューといえば…ご飯・味噌汁・沢庵・それに唐辛子味噌の4品だけ!しかもそのメニューは変わるこたァなかったそうな。
一般人と何ら変わりねえのす。しかし、やっぱり量は食ったんだろか…。
 
 「花道」ってェ言葉を聞いて、相撲ファンならどんな光景を思い浮かべますかい?
安馬が付け人とがつりと拳タッチをする…
高見盛がマワシの後ろのスイッチを押してもらって、足音を響かせながら入場してくる…
朝青龍が土俵上から、付け人に視線を送る…
花道といやァこんな光景がわっちには思い浮かびます。
実はこの「花道」、平安時代の「相撲節会」の頃から由来する言葉なんだそうですよ。
なんでも、この宮中の大事な儀式では、東の入口から葵の花を髷に挿した力士が、
西の入口からは夕顔の花を髷に挿した力士が入場してきたんだってさァ。
だから「花道」。どうです、今の力士がお花を大銀杏に挿して入ってきたら。
…なかなか可愛いと思うのは、わっちだけでしょうかねェ。

 「十両」といやァ、幕内のすぐ下、関取という肩書きが始めてつく番付でござんすね。
この十両、なんでも昔の力士は年俸制で、一年に十両もらうから十両なんだとか。
なんとも単純明快で、分かりやすくていいじゃねェすか。

他にも意外にこんな言葉の由来にゃァ、相撲が関係していたんですぜ。
「土左衛門」。
いわずとしれた、水死体の事です。
成瀬川土左衛門っていう幕内力士が享保の時代におりやして、その力士、肥満型で色が白く、青白くむくんでいたんだそうで。
それで、水から上がった死体に例えられて、いつしか水死体の事を土左衛門とよぶようになったそうなんで…。
…成瀬川にとっちゃァ、なんともひでェ話で…。

これはおまけの話だが、江戸の相撲の土俵の柱には、刀がくくりつけてあった。
それは喧嘩のときに、審判が刀を抜いて仲裁するためだったそうですぜ。
おお、おっかねェ話すねぇ。
今や、本物の「マゲ」にお目にかかれるのは、お相撲だけとなっっちまいました。
その昔、江戸じゃァマゲは当たり前。
力士の髷も、今みたいに大銀杏だけじゃァ、なかったんでさァ。

若い力士は、まだ前髪もついたまんま、合鬢は、月代が多めに剃ってあんのかスッキリ見えます。
やぐら落としなんかは、渋い髪型で玄人うけしそうだし、中にゃあ櫛なんか髷に挿しちまってる力士もいるんですよ。
他にも栗髷や本中髷ってのもあって、今でも出世に髪の長さが追いつかない若い力士なんかは、栗髷を結ってくることもあるそうで…。
日本髪ってのは、どうもいまいち浮世絵じゃどういう仕組みかわからねェし、調べるにも資料が少ないときた。
もうちっと勉強して、説明できるようにならねェといけねえす。

初代両国梶乃助って力士がいましてね、美男子で、土俵に上がるときは白粉ぬって二枚櫛をさしていたとかいないとか。
この白粉っていうのは、ただ単に色が白粉を塗ったように白かったていうのが有力な説らしいんだけどねェ。
今のお相撲さんでいったら、稀勢の里関なんかがやったら似合うかもしれねェなあ…なんて、怒られちまうかね。

お相撲さんの見栄えするのは、取り組みのほかにはやっぱり土俵入り。
なんでも初期は、化粧回しをつけたまんまで相撲をとったとか、小耳に挟んだことがありやす。
しかし寛政の改革ってのがありゃして、贅沢禁止令がでちまったんですよ。
したっけ、化粧回しはお抱え藩の家紋だけ。それも渋くていいけれど、やっぱり化粧回しは豪華でなくちゃ…ねェ。
それから化粧回しが豪華なもんに戻ったのは、ずぅっと後の明治になってからなんす。
今の力士とくりゃァ、電飾なんてつけちまってるんだから、派手も派手です。
…露鵬関の化粧回しが電飾で有名ですぜ。
 江戸の娯楽といやァ、なんといっても「歌舞伎」「浮世絵」「相撲」でござんしょう。
なかでも江戸の男達が熱狂したのは、相撲!!
しかも力士ってのは、「与力」「火消しの頭」と並んでそりゃァモテたもんですよ。
気は優しくて力持ち、それに一年分をたった二十日の興行で稼ぐ豪快さ、モテない訳がありゃァしねぇ。

さてところで、江戸のお相撲は年に二回、それぞれ晴天十日間の興行でござんした。
天明年間から両国の回向院境内がその定場所となった訳なんですが…残念なことに女性の観戦は禁止されてたんですよ。
なんでかって??
女性差別じゃァありゃせんか、と思いきや、どうもそうとは言い切れねェ理由があるんでさァ…

「相撲場にいって、痣のひとつもつくってこねェ奴ァ、男じゃねぇ」
なんていわれたもんで。
かたや贔屓の力士を応援すりゃぁ、かたや負けじと相手の力士を応援する。
観客同士の口論や喧嘩が絶えねェどころか、流血騒ぎは日常茶飯事!
しかも、力士まで喧嘩に乱入するとくりゃァ、女性が観戦禁止になるのは、考えてみりゃァ自然な話。
なかでも有名な「め組の喧嘩」じゃ負傷者99人が出る大乱闘…おっかねぇこってす。

しかしね、女性でも幕内力士が相撲をとらないのどかな「千秋楽」だけは、観戦できたって話でさァ。
女性が本当に相撲を観戦できるようになったは、明治5年の11月場所、二日目から。
考えてみりゃァ、ニッポンの相撲も平和になったもんすねェ。
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そっから更に火のついた江戸熱。
若輩者ではありますが、よろしくお願ェいたしやす。
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