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ちょいと昔のニッポン人、覗いてみてはいかがなもんか。
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江戸時代に大流行した化粧水といえば、「江戸の水」と「花の露」!でござりましょう。
ただしこのふたつ、呼び方は違ッても、中のものはほとんど変わらなかったという話ですのさ。
「江戸の水」、戯作者(作家)式亭三馬の経営する店で売られておりまして、作家の立場を活かして自分の本の中でちゃっかりと宣伝していたんですヨ。

浮世風呂より
『さうさ、あのまァ化粧の仕様をご覧か。目の縁へ紅をつけて置いて、その上へ白粉をするから、目の縁がうす赤くなつて、少しほろ酔という顔色に見えるが、否な事たねへ。』

『あんまりべたべたと化粧したのも、助兵衛らしくしつつこくて見つともないよ。諸事婀娜とか云つて、薄化粧がさつぱりして能いはな。』

『それよりは三馬が所の江戸の水をつけた方がさつぱりして、薄くも濃くも化粧がはげねへで能い。』云々

今はもちろん売ってはおりませんが、一度験してみたいものでござりますねェ。

ところでお前さんがた、江戸の女子がどんなもので洗顔して、どんなもので美白をしていたのか、知っておりますかいな?
洗顔は、聞いたことがあるのかも知れませんはな。
「ヌカ」を使ったんでござります。
お米を精米すると出てくる、あの残りカスさ。
今ですと、精米所にいくと、片隅に貯めておいてありますはな。無人精米所ですと、ただでもらえます。
かくゆう私もそこから頂戴しましたが、洗ったあとも突っ張らないでなかなか能うござりましたよ。
本当に顔の汚れや化粧がおちているかは、ちっと疑問でございます。

今や便利な現代のコスメティック、特に美白コスメは売れ筋でござりますね。
『うぐいすの粉』というものがござりましてな、読み方はうぐいすのふん、そう、鳥の糞の事でございます。
もともとは着物の色を抜くのに使われておりましたのを、人の顔に使ってはどうかと、いつからか美白に使われたのでござります。
最初に使った人は、なんとまァ勇気のあるお方でござりましたなァ。
しかし、たかが鳥の糞とあなどっちゃなりませんヨ。
私は実際に使いましたが、何日か洗って続けておりますと、本当に色が白くなったように感じたのですよ。

現代では、野鳥は捕獲することが制限されておりますでしょう。
だからうぐいすを獲るわけにはいきませんが、実際にうぐいすとよくにた鳥の糞を使っているコスメがありますのさ。
http://www.uguisunofun.net/
さほど高くもござりませんし、これはオススメでございますよ。

いつの世もオトメの願いはただひとつ、キレイになりたいという事でござりますはな。
興味深いお江戸のお化粧事情、もっともっと掘り下げていきたいと思っております。
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江戸のお化粧といえば、やっぱり白粉と紅でござりますはな。
そしてまゆ墨で眉を書く…と、ここまでは、お前さんがたから見ても、美しいものでござりましょう?

 江戸の時代では結婚してお子を産んだら眉をそって歯を黒くぬるものだったのです。
今の感覚だと、それがキレイでもなんでもござりません。
 お歯黒なんかは、なんと気持ちの悪いいでたちをするものかと、ヒンシュクものさ。
これは当時、外国から仕事できた外交官たちが口をそろえて言ったものさ。「結婚すると、他の男が寄り付かないように、わざと醜い化粧をしているのか」とネ。

それがヨゥ、お前さん、このお歯黒は私どもにとっちゃ、とても性的魅力たっぷりのあるすがただったのでござります。
しかもこのお歯黒、セクシーなだけじゃありませんのさ。
虫歯や歯槽膿漏を防いでくれるし、出産による歯質の衰えるのも予防してくれるのでござりますよ。
ただ…このお歯黒は、塗るときにとても渋いものでありまして、よくもまァ、習慣だとはいえ毎朝塗ったものですよ。

お前さんたちからしますと、どうも結婚した女子どもは皆眉がないと思っていらっしゃる方もありますでしょう。
実のところ、2~30代くらいであれば、たとえ子持ちであってもまゆ墨で眉を書いていた女子もおりましたのです。
ところでこのまゆ墨、何からできているかご存知で?
古くは黒土を使っておりましたが、江戸時代では油煙やまこも墨が使われておりました。
このまこも墨、イネ科の植物に黒穂菌がくっついて、大きくなった部分からとった黒い粉なんでござりますよ。
いつか、以前に私が別のブログで写真を紹介しましたはな。
多分あれでしょうな。
http://yaplog.jp/yujasukkou1117/archive/227 
気になる方はご参照を。

ヤレ最近では、世の女子どもはこぞって色の白くなる美容液だの、評判の化粧水だの白粉だのを買いますはな。
お江戸の女子も、そりゃまァ綺麗になることに心血を注いだんでござります。
ちょいと、私どもの化粧事情というものも、お話いたしましょうかネェ。

「どんなに醜い顔かたちでも、あるいはどんな悪い難癖があっても、この本に書いてあるとおりにすれば、たちまち美人になること間違いなし!」
…とコウ自身たっぷりにうたうのは、都風俗化粧伝の著者の、佐山半七丸。
都風俗化粧伝といえば、出版された上方の女子だけじゃァござりません、江戸の女子も夢中になった元祖キレイバイブルなんでござります。

その中身がどんなものかと申しますと―
『かくのごとき顔だちはおしろいは常のごとくほどこし、眉はぼいやりと、少しさげて、太くつくるがよき也』
…どこかで聞いたことのあることばでござりましょう。
『この顔だちは、色白き人ならば化粧はなき位がよし。湯化粧をなし、その上を手ぬぐいを熱き湯にてしぼり、少しおさえおくべし』

どんな顔だちに、どのような化粧があうかと指南しておりますのさ。
ただ流行りの化粧を真似するのではなく、一人ひとりにあった化粧の仕方…この頃からもう、江戸の女子は自分をキレイに見せることに熱心だったんでございますねェ。

いつの時代も、女子の願いは変わらないという事さ。
ぢゃァ、江戸ではどんな女子が美人といわれていたのか…『色がしろくて、肌がきれいで、唇が紅をさしたように赤いこと…』今とそんなに変わりませんはな。

この都風俗化粧伝、背が高いのを目立たなくする方法や、口の大きいのを小さくみせる方法、首を長く見せる方法など、とにかく悩める乙女の指南書だったのでござりましょう。
また、この本いわく、
『色を白くする伝  しろみず(米のとぎ汁)鉢にためおけば、水の汁のおり(沈殿物)、下にいさるを、上水を捨て去り、下にいさりたる米の汁を布にて漉し、日に干し、夜顔に塗りて寝、翌朝洗い落とし、また、湯を使うときに、顔によくすりこみ洗い落とせば、色を白くすること、玉のごとし。』

『面上に生ずる粉刺(ニキビ)を治する薬の伝  すべりひゆ(という種類の草)水にてせんじ、あらいてよし。』

とありますはな。
なんと、化粧水や薬の作り方まで指南しているのでござります。
なんとまァ、気のきいた事さ。
今の時代に、こんなご丁寧なキレイバイブルがありますかいなァ?

江戸時代、力士は大関になると、部屋から引き抜かれて大名のお抱え力士になるのもいたんだとさァ。

この時代の名力士といやァ…あんまりにも有名でさ!

雷電為右衛門。(1767-1825?) 197cm169kg。
 松江藩のお抱え力士で、脅威の記録、254勝10敗、14預り2引き分け、5無勝負!
優勝は27回、連勝44回!勝率だけなら、朝青龍も真っ青でござんしょ。
でもこの力士、力が強いだけじゃァありゃせんよ。
学があって筆マメで、「雷電日記」や「万御用帳」なんてのも残してるんですよ。

おっかねェ話がありやしてね、この雷電、土俵上で相手を投げ殺しちまったことがあるんだとか!!!
ひぇぇぇ~。絶対に怒らしたくないもんだ。
あんまり強いんで、雷電はかんぬき、張り手と鉄砲の三手を禁じられたんす。
ただ、こんだけ強くて何故だかァわからねえのが、
「横綱」の称号をもらってねえのす。
あんまり強くって周りが嫉妬したんだろか?
しかし、この雷電は世間が認めるスーパースターだったこたァ、確かなこってす。
今の力士だと、エストニア出身の把瑠都関がおんなじ身長、体重っていわれてやすね。

小野川喜三郎 5代横綱。176cmの小兵、久留米藩お抱え。
谷風梶之助 4代横綱。189cm、169kgの巨漢。仙台藩お抱え。(流行病で現役中に死去)
このお二方も、同世代の有名な力士でございやす。

ほかには、こんな力士もいたんでさァ。
黒船に日本からの贈答品、米200俵を運ぶ際、大関・鏡岩や小柳などの力士がその米俵を運ぶ中、白真弓ってェ力士がいた。
その白真弓、208cmの大男で、なんと一度に8俵もの米を運んだって言われてるんですぜ。
最長身の琴欧州関、同じことできやすかねェ。

おっかねェのが、不知火光右衛門。
馬子と喧嘩して、足で踏みつけたまではいい。ところがその馬子があんまり悪口雑言を吐くもんだから、その首をひっこぬいちまったそうですよォ。
ホントの話かえ??こりゃァ。
 相撲といやァ、ちゃんこ鍋!!ですよねェ。
でもそのちゃんこ鍋、明治の後期になってからって、ご存知で??
実は、江戸時代。回向院境内で興行してた頃は、相撲場の脇に炊事場を作って、そこで大勢の力士の食事をまかなってたんでさァ。
メニューといえば…ご飯・味噌汁・沢庵・それに唐辛子味噌の4品だけ!しかもそのメニューは変わるこたァなかったそうな。
一般人と何ら変わりねえのす。しかし、やっぱり量は食ったんだろか…。
 
 「花道」ってェ言葉を聞いて、相撲ファンならどんな光景を思い浮かべますかい?
安馬が付け人とがつりと拳タッチをする…
高見盛がマワシの後ろのスイッチを押してもらって、足音を響かせながら入場してくる…
朝青龍が土俵上から、付け人に視線を送る…
花道といやァこんな光景がわっちには思い浮かびます。
実はこの「花道」、平安時代の「相撲節会」の頃から由来する言葉なんだそうですよ。
なんでも、この宮中の大事な儀式では、東の入口から葵の花を髷に挿した力士が、
西の入口からは夕顔の花を髷に挿した力士が入場してきたんだってさァ。
だから「花道」。どうです、今の力士がお花を大銀杏に挿して入ってきたら。
…なかなか可愛いと思うのは、わっちだけでしょうかねェ。

 「十両」といやァ、幕内のすぐ下、関取という肩書きが始めてつく番付でござんすね。
この十両、なんでも昔の力士は年俸制で、一年に十両もらうから十両なんだとか。
なんとも単純明快で、分かりやすくていいじゃねェすか。

他にも意外にこんな言葉の由来にゃァ、相撲が関係していたんですぜ。
「土左衛門」。
いわずとしれた、水死体の事です。
成瀬川土左衛門っていう幕内力士が享保の時代におりやして、その力士、肥満型で色が白く、青白くむくんでいたんだそうで。
それで、水から上がった死体に例えられて、いつしか水死体の事を土左衛門とよぶようになったそうなんで…。
…成瀬川にとっちゃァ、なんともひでェ話で…。

これはおまけの話だが、江戸の相撲の土俵の柱には、刀がくくりつけてあった。
それは喧嘩のときに、審判が刀を抜いて仲裁するためだったそうですぜ。
おお、おっかねェ話すねぇ。
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